あえて「言わない」選択 善意と不誠実の境界線を考える
人間関係を築く上で、私たちは日々様々な情報に触れます。中には、相手にとってあるいは周囲にとって、不都合であったり、知られると波風が立つような真実や状況も含まれます。そのような時、「言うべきか、言わざるべきか」という選択に直面することがあります。そして、時には熟慮の末、あるいは衝動的に、「あえて言わない」という選択をすることがあります。
この「言わない」という選択は、一体どのような性質を持つのでしょうか。それは相手や関係性への配慮からくる「善意」なのでしょうか。それとも、問題から目を背ける「不誠実」な態度なのでしょうか。絶対的な基準を見出すことは容易ではありませんが、いくつかの具体的な事例からこの問いを探求してみます。
具体的な事例から見る「言わない」選択
私たちは、以下のような状況で「言わない」ことを選ぶかもしれません。
- 事例1:友人の良くない噂を知った時 親しい友人の、誰かからの評判が思わしくないことを知ってしまったとします。その噂を本人に伝えることで、友人は傷つくかもしれません。しかし、伝えなければ友人は自身の評判を知らないまま過ごすことになります。ここで「言わない」選択をするのは、友人を傷つけたくないという善意からでしょうか。それとも、真実を隠す不誠実さにあたるのでしょうか。
- 事例2:職場の同僚が軽微なルール違反をしているのを知った時 共に働く同僚が、会社の定める細かなルールから逸脱した行動を日常的に取っているのを目撃したとします。その行為が組織全体に大きな損害を与えるものではないが、放置すれば他の社員にも波及する可能性があります。この時、波風を立てたくない、あるいは同僚との関係を悪化させたくないという思いから「言わない」ことを選ぶかもしれません。これは職場内の調和を優先する賢慮でしょうか。それとも、不正を見過ごす不誠実さにあたるのでしょうか。
- 事例3:家族が隠している過去の事実を知ってしまった時 家族の一員が、他の家族には話していない過去の(必ずしも犯罪などではないが、知られれば動揺を招くかもしれない)事実を偶然知ってしまったとします。その事実を共有することで、家族間の信頼関係が揺らぐ可能性があります。平和を保つために「言わない」ことを選ぶのは、家族を守る善意でしょうか。それとも、真実を共有しない不誠実さにあたるのでしょうか。
「言わない」ことの倫理を考える視点
これらの事例において、「言わない」という選択をどのように捉えることができるでしょうか。いくつかの哲学的な視点から考察を深めてみます。
- 結果主義の視点:何が最善の結果をもたらすか 結果主義(功利主義など)の視点では、ある行為の善悪は、それがもたらす結果によって判断されます。「言わない」ことによって、関係性が保たれ、一時的な衝突や痛みが避けられるのであれば、それは一定の「善」であると見なせるかもしれません。しかし、長期的に見て、言わないことによって問題が深刻化したり、後で真実が露呈した際に、言わなかったこと自体が大きな不信感を生んだりする可能性もあります。結果主義的に考えるならば、目先の平穏だけでなく、あらゆる可能性を考慮し、全体として最も幸福(あるいは苦痛の回避)をもたらす選択は何かを問うことになります。
- 義務論の視点:真実を語る義務はあるか 義務論の視点では、行為そのものが持つ倫理的な性質に注目します。例えば、真実を語ること自体に価値がある、という考え方があります。カント哲学における「定言命法」のように、ある行動原理が普遍的な道徳法則として成り立つかどうかが問われます。「いかなる状況でも、知っている真実をすべて語るべきだ」という原則は、常に適用可能でしょうか。場合によっては、真実を語ることが、相手を不必要に傷つけたり、重大な危険を招いたりすることもあります。義務論的に考えるならば、真実を語る義務と、他者を傷つけない義務や、秘密を守る約束など、複数の義務が衝突する場合に、どの義務がより根源的あるいは優先されるべきかを問うことになります。
- 徳倫理学の視点:どのような人間であろうとするか 徳倫理学の視点では、「良い行いをするには、良い人間であること」に焦点を当てます。「言わない」という選択が、どのような内的な性質(徳)に基づいているのかを問います。それは、単なる臆病さ、無関心、あるいは自己保身からくるものではないでしょうか。それとも、相手への思いやり、状況を冷静に判断する賢慮、あるいは関係性を大切にしようとする配慮からくるものでしょうか。良い友人、良い同僚、良い家族であろうとするならば、その状況でどのような選択をすることが、自身が目指す「良い人間性」に合致するかを問うことになります。
思考のヒントとして
「あえて言わない」という選択は、単に真実を隠蔽するネガティブな行為としてだけでなく、状況判断、関係性への配慮、そして自身の内的な葛藤の結果として生じる複雑な行為です。そこに「善」を見出すことができるかどうかは、その選択がどのような目的、どのような意図、どのような価値観に基づいて行われたかによって異なります。
- あなたは、その「言わない」という選択によって、誰の、どのような利益や不利益を考慮しているのでしょうか。
- あなたは、真実を語ること自体に、どれほどの重きを置いているのでしょうか。
- あなたは、その状況において、どのような関係性を築き、あるいは維持したいと考えているのでしょうか。
- その「言わない」という選択は、あなたが理想とする「良い人間」のあり方と整合しているでしょうか。
これらの問いを自身の状況に照らし合わせて考えることで、「あえて言わない」という選択の背後にある自身の価値観や、その選択がもたらしうる多様な側面について、より深く理解することができるかもしれません。絶対的な「正解」がない問いであるからこそ、多角的な視点から思考を巡らせることに意味があると言えるでしょう。