日常の小さな借り物 返却のタイミングに「善」はあるか
日常の中に潜む「善」の問い
私たちは日々、様々な人との関わりの中で生きています。その関わりの中で、大小さまざまな「借り物」が生じることがあります。物理的な物であったり、時間であったり、あるいは情報や助けであったり。そして、借りたものを返すという行為は、人間関係における基本的なやり取りの一つと言えるでしょう。しかし、この当たり前のように思える返却という行為にも、「善」に関する問いが潜んでいることがあります。
例えば、友人から本を借りたきり、しばらく手元に置いたままになっている状況を考えてみます。友人は何も言いません。自分も特に催促されていません。このような時、いつ、どのように返すのが「善い」行動と言えるのでしょうか。単に物を返せば良いというだけでなく、そこには誠実さや相手への配慮といった側面が関わってきます。
事例:借りた本と沈黙
ある人が、親しい友人から興味のある本を借りました。読み終えた後も、特に急いで返す必要はないだろうと考え、自宅に置いたまま数週間が経過しました。友人は本の返却について何も触れません。借りた側としては、「特に急いでいないようなら、もう少し手元に置いておいても大丈夫だろうか」「でも、早く返すべきだろうか」「もし友人がその本を必要としていたらどうしようか」といった考えが巡ります。相手からの催促がない沈黙は、待っているサインなのか、気にしないでいるサインなのか、あるいは諦めているサインなのか。このような状況で、「善い」とされる行動とは、どのような視点から考えられるでしょうか。
義務と配慮の視点からの考察
この事例を、「善」を巡るいくつかの視点から考察してみます。
まず、約束や義務という観点から見ると、物を借りたら返すというのは基本的な義務です。これは、倫理学における義務論的な考え方とも繋がります。借りた時点で返却するという暗黙の、あるいは明確な約束が成立していると見なせます。この視点に立てば、相手が何も言わないからといって返さなくて良いということにはなりません。期日があれば期日までに、なければできるだけ早く返すことが、義務を果たすという意味での「善」であると考えられます。相手が催促しないのは、信頼しているからかもしれませんし、単に言いにくいだけかもしれません。いずれにせよ、借りた側が自らの義務を認識し、主体的に返却することが求められます。
次に、相手への配慮や関係性の維持という観点、つまり徳倫理学や配慮の倫理といった視点から見てみましょう。ここでは、単に義務を果たすだけでなく、相手の状況や気持ちを想像し、より良い関係性を築くための行動が「善」と見なされます。友人が本を必要としている可能性や、催促することに負担を感じている可能性を慮ることが含まれます。この視点からは、相手が何も言わないとしても、「もしかしたら必要なのかもしれない」と考え、早めに返却の意思を伝えたり、「いつ頃までに返せば良いか」と尋ねたりすることが、配慮のある行動として「善」と捉えられます。また、返す際には、借りていたことへの感謝を伝えることも、関係性を円滑にする上で重要な配慮と言えるでしょう。
さらに、功利主義的な観点からは、関係者全体にとって最も良い結果(幸福や満足)を生む行動が「善」となります。この場合、貸した側と借りた側の両方が不快な気持ちにならず、良好な関係が維持されることが良い結果と考えられます。借りた側がいつまでも返さずにいることで、貸した側がやきもきしたり、催促しづらかったりする状況は、両者にとって不利益となります。逆に、借りた側が適切なタイミングで、丁寧な言葉と共に返却することで、貸した側は安心し、借りた側も誠実さを保てます。この視点からは、早期の返却や、返却に関するコミュニケーションをとることが、全体的な幸福量を最大化する行動として「善」である可能性が高いと示唆されます。
複数の考え方からのヒント
これらの異なる視点から見えてくるのは、日常の小さな借り物一つとっても、単に「返す」という物理的な行為以上の意味合いがあるということです。
- 義務の側面: 借りた物を返すという基本的な責任を自覚し、相手からの催促の有無に関わらず、速やかに実行しようと努めること。
- 配慮の側面: 相手の状況や気持ちを想像し、返却のタイミングや方法について、相手にとって負担にならないような配慮をすること。返却が遅れる場合は、一言連絡を入れることも配慮となり得ます。
- 関係性の側面: 返却という行為を通じて、相手への感謝や誠実さを示すことで、信頼関係を育む機会と捉えること。
もちろん、関係性の深さや、借りた物の種類、期間など、状況によって適切な対応は異なります。しかし、いずれの状況においても、これらの「善」に関する視点を持つことは、より誠実で配慮のある行動を選ぶ上でのヒントとなるでしょう。
まとめにかえて
日常の小さな借り物の返却という行為は、私たちの人間関係における「善」のあり方を映し出す鏡のようなものかもしれません。そこには、義務を果たすことの重要性、相手への想像力と配慮、そして信頼関係を築くための誠実なコミュニケーションが求められます。絶対的な正解があるわけではありませんが、借りた物の向こうにある相手の存在、そして自分たちの関係性について深く考えることが、より良い選択へと繋がっていくのではないでしょうか。