成果を優先する職場で「善」を考える 他者の手柄と自分の倫理
成果を追求することが当然とされる職場の環境では、時に人間関係における「善」のあり方が問われる場面に遭遇することがあります。目標達成や評価が個人のキャリアに直結するため、意図せずとも他者との競争意識が生まれやすい状況です。このような環境下で、私たちはどのように「善く」ありうるのでしょうか。あるいは、「善」とは何を意味するのでしょうか。
成果と人間関係の狭間にある事例
考えてみましょう。あるプロジェクトで、あなたはチームメンバーの一員として貢献しました。しかし、プロジェクトの成果報告の場で、別の同僚が、実際にはチーム全体の協力によって得られた成果の一部を、あたかも自分一人の功績であるかのように強調している様子を目にしました。その同僚は、その結果として上司から高い評価を得るようです。
この状況を目撃したあなたの中で、複雑な感情が湧き起こるかもしれません。不公平さへの憤り、その同僚への不信感、そして「なぜ自分は正当に評価されないのか」という自己への疑問。同時に、「この状況に対して、自分は何らかの行動を起こすべきか、それとも静観すべきか」という問いが生まれます。ここで、「善」とは何か、という問いが浮上してきます。
この状況における「善」の多様な視点
この同僚の行動や、それを見た自分の取るべき行動について、「善」という視点からいくつかの考え方が可能です。
- 結果としての「善」(功利主義的な視点): もしその同僚の行為が、一時的であれ全体の成果報告をより印象的にし、組織全体の評価に繋がったとすれば、結果だけを見ればある種の「善」をもたらしたと捉える見方もできるかもしれません。しかし、長期的に見れば、チーム内の信頼を損ない、協力体制を破壊する可能性があるため、結果として「善」とは言えないかもしれません。あなたの行動についても、もし告発がチーム全体の不和を招き、将来的な成果に悪影響を及ぼすなら、沈黙が「より悪くない」選択、つまり結果的に見て「善」に近いと考えることも可能です。
- ルールや義務としての「善」(義務論的な視点): 公平性や誠実さといった普遍的な倫理規範から見れば、他者の貢献を自身のものとする行為は明確に「善くない」行動と断じられます。これは、その行為がもたらす結果にかかわらず、行為自体の性質として不正であると考えます。この視点に立てば、不正を目撃したあなたが、何らかの形で真実を明らかにする行動を取ることが「善」である、という結論に至るかもしれません。それは直接的な指摘であるか、然るべきルートへの報告であるかなど、具体的な行動は状況によります。
- 人格や徳としての「善」(徳倫理学的な視点): この同僚の行動は、公正さ、誠実さ、謙虚さといった「善い人」が持つべきとされる徳に反していると考えられます。また、この状況を目撃したあなた自身が、どのような「徳」に基づいて振る舞うか、という視点も重要です。不正を見て見ぬふりをする、憤りを感じつつも何も言わない、それとも勇気を出して声を上げる。それぞれの行動は、あなたがどのような人物であろうとするか、という「徳」のあり方に関わってきます。
行動の選択とそれぞれの示唆
この事例において、あなたは複数の行動を選択できます。
- 静観する: 波風を立てず、自己の安全を確保するという選択です。しかし、不公平な状況を容認したことへの内的な葛藤や、同様の行為が繰り返される可能性といった結果が伴うかもしれません。
- 直接、同僚に問い質す: 正義感を貫く行動ですが、関係性の決定的な悪化や、より複雑な問題に発展するリスクがあります。
- 上司や人事部門に相談する: 組織のルールや倫理規定に則った対応を求めることができます。しかし、証拠の有無や、組織がどのように反応するかといった不確実性が伴います。
- 自身の仕事で、より正当な方法で成果を出すことに注力する: 間接的なアプローチですが、自己の尊厳を保ちつつ、長期的なキャリア形成に繋がる可能性があります。
どの行動も、単に「正解」として選べるものではなく、それぞれの行動がもたらすであろう結果、自身の価値観、そして職場の人間関係や文化といった複雑な要素を考慮して判断する必要があります。
考え続けることの意義
この事例のように、日常の人間関係における「善」の判断は、必ずしも明確な答えがあるわけではありません。特に成果や競争が絡む場面では、個人の利益と他者への配慮、短期的な結果と長期的な関係性の間で揺れ動きがちです。
重要なのは、安易な結論に飛びつくのではなく、「何が本当に善いことなのだろうか」「この状況で取りうる行動には、それぞれどのような意味や結果があるのだろうか」「自分自身はどのような価値観を大切にしたいのか」と、立ち止まって考えを巡らせることです。多様な倫理的な視点を知ることは、そのような思考を深めるための手がかりとなるでしょう。
職場の人間関係における「善」は、一つの絶対的な基準ではなく、状況や関係性の中で常に問い直され、探求されるべきテーマです。この考察が、あなたが自身の置かれた状況で「善く」振る舞うための、何らかのヒントとなれば幸いです。